最初に言っておきます。少し長いです。
紀行日記として読んでもらえると嬉しいです。
この中では写真を載せず、Twitterに載せていきます。
今から約14年前、私と友達で行った女子2人旅の話。
当時、私たちは20歳。
私と梅(友達)は、小学校が一緒で挨拶をする程度の仲だったけど、中学2年生の時から一緒にいるようになった。同じクラスでもないのにどうやって仲良くなったのかは覚えていない。
色々な遊びや悪さを一緒にやった大好きな友達。
専門学校を卒業して就職もせず、ラーメン屋でアルバイトをしていた私と美大に通っていた梅は、大学の夏休みを利用して2週間旅行へ行くことを決めた。
バックパッカーを初めて知る
旅先を決めるため、私と梅は本屋に行った。
色々なガイドブックを見て何となく目に止まったのが台湾。
美味しいモノを食べ歩き出来る。楽しそうだ。
ちょうどその時、男友達から電話がかかってきて飲みに行くことになった。
そこで私たちは衝撃を受けた。
少し会わない間に男友達2人はバックパッカーとしてアジアを旅していたらしい。
当時はバックパッカーという言葉を知らず、電波少年の猿岩石の旅みたいなものだと言われて驚いた。
好奇心旺盛な私と梅は、バックパッカー旅行の話を興奮しながら聞き入っていた。
そして、目は輝いていた。
旅先はタイとカンボジアに変わり、私と梅はすぐにビザを申請しに行った。
格安航空券とバックパックを持って
私たちは65Lのバックパックに必要最低限のモノを入れ、格安航空券を握りしめて日本を飛び立った。
私は飛行機には慣れていたのでフライトを満喫していた。
一方、飛行機が苦手な梅は、少し揺れるたびにヒジ掛けをガッチリ握ぎりしめて硬直状態。
機内食が出たときに揺れがひどかったこともあり、緊張していた梅は一口も食べることができなかった。気の毒に思うほど。
揺れがない時は絵を描いていて気を紛らわし、早くタイに到着することを願っていた。
私が仮眠を取っている間、通路を挟んで梅の斜め後ろに座っていた日本人の男子(以後、ギワ君)が梅に声をかけ、話し相手になってくれていた。
タイの空港に着いた私たちは、バックパッカーの聖地カオサンに行くことしか決めていなかった。
カオサンとはカオサン通り(ロード)の略で300mほどの通りに安宿ゲストハウス、レストラン、バー、マッサージ店、クラブなどが密集している通り。
泊まるホテルなんて決めない。
カオサンに行ったら格安のゲストハウスに泊まればいいと言われていたので何も用意していなかった。
空港からどうやってカオサンに行くのかも分からずに。
空港内でたくさんのタクシードライバーに囲まれてアタフタしている私たちをギワ君が気づいて、一緒にカオサンまでバスで行こうと言ってくれた時は本当に助かった。
バスが発車する時、一人の日本人男子(以後、ケンジ君)が飛び乗ってきてギワ君が声をかけて一緒にカオサンを目指した。
4人の話は盛り上がり、あっという間に到着。
ギワ君とケンジ君はカオサンで友達と待ち合わせをしているとのことだったので、ホットメールアドレスだけ聞いて解散した。
空港に着いたのは夕方くらいだったように思う。もう忘れてしまったけど、バスを降りた時は空が暗くなっていた。
こんな時間から宿を探して満室だったらどうしようかと心の中で少し不安になりながら、とりあえずカオサンを歩いてみるか。という時に後ろから日本語で声を掛けられる。
「地球の歩き方持ってますか?」
振り返ると坊主頭でラフな格好をした日本人男性(以後、ムーさん)が立っていた。
「すいません、何も持っていなくて…」
私たちはガイドブックも持たずに旅に来ていた。無知にも程がある。
「今日泊まる場所、決まってるの?」
「いや、何も決めずに来ちゃって今から探そうかと思ってるんですよね。」
「じゃあ、いつも泊まっているゲストハウスに行く途中だから一緒に行く?」
と日本人が経営している “サクラゲストハウス” へ連れて行ってくれた。
ここは新しくできたばかりのゲストハウスで温水シャワーが出るうえに、漫画部屋が付いている。
室内がすごく綺麗だったのが嬉しかった。
(残念なことに今は潰れてしまったらしい。)
値段は覚えていないけど、他のゲストハウスよりほんの少しだけ高かったと記憶している。
ムーさんはタイ語がペラペラ。ゲストハウスのオーナーと友達のように親しく話をしていていた。
初めてのクラブ
荷物を置いた私たちは夜ごはんを食べに行き、ムーさんがタイでは高級なレストランに連れて行ってくれた。
ビルの屋上にデカいベッドのようなソファに丸くて赤いガラス板が乗っている。そこにどんどん料理が並んでいった。
タイのレストランはこんなにオシャレなのかと思った。
ごはんを食べ終えると、当時のアジア最大級のクラブに行こうと誘われる。
クラブに行くようなタイプではない私たちは少し躊躇したものの海外という解放感に身を任せ、お酒を飲んで音楽を楽しんだ。
クラブ内が盛り上がった曲がビヨンセのCrazy In LoveとブラックアイドピーズのLet’s Get It Startedだった。
今でも曲を聴くと、あの時の光景が目に浮かび体がキューっと締め付けられる。
ムーさんとは帰る時合流することになり、別行動をしていた私たちに、3人のタイ人男子が声をかけてきて片言の英語で会話が始まった。
私は英検準2級を持っているものの、中学生程度の会話しかできない。
梅も受験のために英単語を覚えただけ。会話は程遠い。
こんな状態でよく海外旅行したものだ。
一番会話をしたタイ人とだけメールアドレスを交換し、帰国後も何度か英語でメールのやり取りを行っていた。
ムーさんと合流してゲストハウスに帰ると、入り口は鎖の鍵が閉められていて、管理人が門の前に置いてある簡易ベッドで寝ているところを起こして入れてもらった。
この頃のタイは、飲み屋の閉店時間がとても早かった。時間は忘れてしまった。
歩行者天国になっていたカオサンロードに並ぶ屋台なども綺麗に撤収されて洗浄車のようなもので道路が綺麗にされていく。毎晩、警察なども見回りをしているのには驚いた。
とりあえずパッタイ
翌朝、お腹が空いて屋台で売っているパッタイを初めて食べた。そして、その味にハマってしまう。
それから食事に困ったらとりあえずパッタイを食べてことになった。
朝食を終えるとカオサン周辺をブラブラしながら他のゲストハウスを覗いてみたり、インターネットカフェに行ってmixiを更新してゆっくり過ごしているとケンジとケンジの友達にバッタリ出会い、思わず「おー!」と声を上げてしまった。
昨日は予約していたホテルに泊まったが、今日はゲストハウスを探しているというので ” サクラゲストハウス ” に来ることになり、夜ごはんは皆で近くのレストランにいった。
メニューはタイ語の他に英語も書いてあるけど、私たちにはなかなか難しい…
fried fish(魚の丸揚げ)、fried rice(炒飯)、fried poteto(フライドポテト)ととりあえずfriedとついているモノを注文していく。
この先の旅もfriedは役に立った。
トゥクトゥクのスリルがたまらない
次の日、私たちはとりあえず寺院巡りをしようとワットアルンに行ってみることにした。
初めてトゥクトゥクは、クラクションを鳴らしまくりギリギリの隙間を爆走する乗り物。
このスリル感と風は日本ではなかなか味わえない。
到着した私たちは少しぼったくられていると思う。
小高い丘の上にあるワットアルンでは、寺院を見るというより一望できるバンコクの街並みを見て楽しんでいた。
ビュースポットを楽しんだ私たちは、長い階段を下りチャオプラヤー川の近くにあるワットポーを目指して川辺を歩いたが、どこから向こう岸にあるワットポーに行ける船が出ているのか分からず、結局行くことを諦めてしまった。
歩き疲れてフラフラな私たちは路上店がひしめき合っている場所に辿り着き、お昼ごはんを食べることにした。
食事をしている人の料理を見ながらグルグルと屋台を見て周り、美味しそうな魚の肉団子が乗っているフォーを食べてみることにした。
肉団子は少し生臭かったがフォーとスープはあっさりしていて、とても美味しかった。
食後はお土産を見ながらプラプラ歩き、私たちはそれぞれ気に入った物を値下げ交渉しながら買うことができた。初めてのディスカウント。
「NOディスカウント」と言われると私達は帰る素振りを見せる。すると、「OKOK」と言いながらディスカウントしてくれる。
また、「コレを2つ買うから安くして」というと電卓を出してきて、少し値引きした金額を提示してくる。ここで電卓を私が叩き直して、もっと安い金額を提示して交渉していく。
だいたい提示した値段か、お互いの中間で手を打ってくれる。
あまりに低価格にし過ぎると、” 有り得ない ” という顔を思いっきり出してくるので分かりやすい。
何度も繰り返すとディスカウント交渉が楽しくなっていた。
私たちはタイ人=ぼったくりというイメージが植え付けられ、帰りのトゥクトゥクの値段交渉も結構シビアに交渉した。行きの2/3で帰ってこれた。
TATインフォメーション
予定を何も決めていなかった私たちは次の日から行動に移した。
旅行に出る前に友達からTAT(タイ政府観光局)に行けば何か面白いことができるかも。と言われていたので、ゲストハウスのオーナーに場所を聞いて行ってみることにした。
カオサンから歩いて10分くらいの所にあるバンコクインフォメーションセンターに到着。
中に入るとツアー会社という感じで、大柄のおばちゃまがデスクに座っている。
優しい顔でこっちにおいでと手招いてくれて、英語で会話を始めた。
単語を聞き取れば、何とか理解できる。
私たちの要望は「ゾウに乗りたい」「プーケットに行きたい」「カンボジアにいきたい」「全部バスで行きたい」「お金はあまり持っていない」と伝えた。
色々な写真を持ってきて、「こんな感じ?」「こういうのはどう?」「プーケットは遠いからバスで行くのは大変。パタヤならバスで行けるけどどう?ラーン島に行くのも楽しいわよ。」と色々提案してくれる。
片言の英語でもこんなに会話が弾んで楽しいのかと思わせてくれるおばちゃまに感謝した。
2週間の旅のうち約10日分のプラン、移動費、宿泊費、ツアー費など含めきっちり日本円で20,000円払った。これが安いのか高いのか全く調べていないのでわからない。でも一括で頼めたので満足。
全プランや時間が記載されている紙だけを頼りに私たちのオプショナルツアーが始まった。
サムとの出会い
まずはカンチャナブリへと出発。
カオサン通りの端でバスが来るのをドキドキしながら待つ。
どんなバスが来るのか、気づかず通り過ぎてしまわないか、時間通りに来てくれるのか全く分からない状態だった。
目の前に来たバスは日本の観光バスのようなデカいバスで冷房もガンガン効いていてる。とても安心した。
バスはたしか2~3時間でカンチャナブリに到着した。
着いた場所は、映画「戦場にかける橋」の舞台で観光スポットにもなっている場所。
今でも列車が通っている橋なので、列車が来る時は観光客が急いで線路から降りなくてはいけない。
ちょっと映画「スタンドバイミー」の名シーンを体験しているような気分になったのを覚えている。
近くに博物館とお墓があり、現地の人達が日本兵にどう働かされたのか、どんなことが第二次世界大戦で起きたのか展示されている。同じ日本人として心がとても痛くなって私たちは少し暗い気持ちになった。
近くの川に浮いている水上レストランでご飯を食べることになっていた。
この時、日本人は私たちだけで他は白人観光客が占めていた。しかも年配の方が多め。
ご飯は何を食べたか覚えていないけど、凄く美味しかったという記憶だけ残っている。
昼食が終わると自由時間。
このままバンコクに帰っていく人、水上コテージに泊まる人、別の場所に移動する人など名前が呼ばれていく。
私たちはサムというガイドに連れられサムの息子が運転するボートに乗り、水上コテージまで移動した。
時折、水しぶきがかかって気持ちがいい。
私たちが泊まる水上コテージに着き、部屋を紹介される。部屋は結構清潔で虫もいなくて安心した。
一言いっておくと、リゾート感あふれる水上コテージではなく、現地人が暮らしているようなコテージをイメージしてもらいたい。
そこはガイドのサム一家が暮らす家でもあった。
シャワーはもちろん水。しかもトイレと同じ場所にあって、便器は水でビチャビチャになる。使う時はトイレットペーパーで拭かなくてはいけない。
この日は夜まで自由時間。
水上コテージには個室の他にも皆が座れる団欒場所があり、他2組のグループもそこでゆっくりしていた。
私はサムに「君は赤ちゃんのように子どもだ、親が心配していないのか」などと言われてからかわれる。苗字がババということもあって、「バカエリナ、バカエリナ」とサムは一人で笑い転げていた。
たどたどしい英語だったけど、私たちは会話を楽しんでたくさん笑った。
その声に釣られて他のグループも集まってきて、「何がそんなに楽しいの?」と内容が分かっていないのに笑っている。笑いはどんどん連鎖していく。言葉も通じてないのに、何でも可笑しかった。
おかげで、夜ごはんは皆で楽しく食べることができた。
サムはギターを取り出して、皆が知っている曲やタイの曲を歌ってくれた。
色々楽しませてくれるサムにお礼として肩もみをしてあげたら、驚くほど喜んでくれた。
「息子にもマッサージをしてもらったことがないんだよ!エリナは私の娘同然だ!ずっとここに居てくれていいんだよ!」
「日本ではみんな親に肩もみをするよ!」と会話する私たちを皆が微笑ましそうに見守ってくれていた。
オーストリアから来た老夫婦に「あなたたちもやってもらった方がいいよ!とても上手いから!」
遠慮していたおばあちゃまだったけど、「私がマッサージしてもいい?」と聞くと快く受け入れてくれたので、優しく肩をもんだ。
「本当上手だわ。あなたのご両親が羨ましいわ。ありがとう。」と言ってくれて本当に嬉しかった。隣に居たおじいちゃまにもしてあげた。
次の日は朝だけ皆で食べて、私と梅だけゾウに乗れる場所へサムが連れてってくれた。
数頭のゾウがいて、赤ちゃんゾウもいる。
ゾウに乗るために高い乗り場に上って、ゾウの背中に乗せられている椅子に座る。
ゾウの毛が結構剛毛でチクチクしていることに驚いた。
ノッソリノッソリ動き始める。
散歩はゾウの首元に乗っているゾウ使いの男の子と私たちだけ。
途中でチップをねだられる。チップ習慣が分からない私たちは、とりあえずポケットに入っていた数バーツを渡した記憶がある。
ゾウ散歩が終わるとサムは次は滝に行くよ!と車を走らせた。
着いた場所は分からなかったが、国立公園だという。
タイで最も綺麗な滝と言われているらしい。そんなことを知らない私たちは滝を見ながら水遊びを楽しんだ。
大型バスが並んでいる場所まで連れて行ってくれたサムとはここでお別れ。メールアドレスを交換。サムはハグをしながら泣くから私も泣いてしまった。
また絶対に会いにきたい。そのときまで元気でいてね。
パラセーリングはこういう遊びか
バンコクに一旦戻り、サクラゲストハウスで1泊休憩。
次の日からリゾート地パタヤへバスで移動。
ここも2~3時間の距離なので、移動を楽しんだ。
パタヤと言えば、笑う犬でやっていた成りきりタイ人の名倉さんが「パタヤビーチへよこそ~」。
これしか情報を知らない。情報は一切ないと言える。
宿泊したホテルはとても綺麗でプールも付いている。
到着した私たちは、海まで町を歩き廻ってってみた。
暗くなってくると昼間には気づかなかったネオンが煌々と光始めてあっという間にピンク街と大変身。
海沿いのレストランで夜ごはんを食べ終わった私たちはコワくて急いでホテルに戻ることに。
次の日はパタヤのすぐ近くにあるラーン島へ行くことになっていた。
ラーン島へ向かう船は途中で止まり、パラセーリングしたい人が出来るようになっていた。
1人ずつしかできなかったので、まずは梅から。
フワァ~っと空に浮いて行ってジェットスキーのスピードの強弱で梅は上下に浮いていて足先が海に付いたりとても気持ちよさそうだ。
私の番になり、徐々に上に上がり遠くの海まで見渡せる高さになった。
ジェットスキーがスピードを緩めて私も上下に揺らしてくれるのかと思っていた。
私の想像をはるかに超える出来事が起きた。
ジェットスキーは完全停止して私は急降下で海にズドンっ!と落とされた。
ライフジャケットを着ているので溺れる心配はしていなかったが、勢いよく飛び込んだのでビックリしている暇もなかった。
次にジェットスキーは強引に私を引きずりながら上に上昇していく。
この時私はビキニを着ていたので、水圧に押された水着はベロン状態になっている。鼻にも思いっきり海水が入ってきて鼻が痛かった。
船に乗っている観光客が爆笑している声が聞こえる。
その声に応えるべくジェットスキー野郎が2回も繰り返したことは言うまでもない。
私はこういう扱いを受けることは多々ある。まさかタイ人にも同じようにされるとは思っていなかったけど。
ヘロヘロになって帰還した私を、観光客達が「きみ、ナイスだったね!楽しませてもらったよ!」というように声をかけてくれた。
ラーン島に着くとバイキング形式で昼食が用意されていた。体力を消耗してお腹を空かせていたのでたくさん食べた。
ランチタイムが終了すると帰りの時刻まで自由時間。
私たちはジェットスキーを1台借りて、交代ずつで乗ることにした。
スタッフのおじさん含め3人乗りで島をグルグル走りまわる。
勢いよく飛ばすと波でバウンドする。その時おじさんの前にいる人間がある犠牲にならなくてはいけないことになる。
おじさんは手を腰に回してジャンプするごとにアレを押し付けてくるのだ。もっと後ろに行けと言ってもジャンプする時にはやっぱりくっついてくる。
初めは私の勘違いだと思っていたが、梅が本気で嫌がっていたのでジェットスキーを終わらせてビーチに戻る。
ビーチで色々な人に声をかけられた。社員旅行で来ているという台湾人の男性軍(なぜか全員メガネ君)、現地の子どもたちなど、その中で話が盛り上がったのは日本人家族で来ているという女性。
その家族はカンボジアのチェンラゲストハウスを経営しているというのだ。
チェンラゲストハウスは私たちがカンボジアで訪れるリストに入っていたタケオゲストハウスの真横にあるゲストハウス。
こんな出会いができてしまうのが旅行の醍醐味。
今回はカンボジアでのホテルも決まってしまっていたので、チェンラには泊まることができないのが残念だった。
パタヤのホテルで緊張感が走る
夕方になり、船でパタヤまで戻った私たちはピンク街を急いで通り抜けホテルに帰ってプールを楽しんだ。他の客は全くプールに来ないから貸し切り状態。
もしかしたら誰も泊まっていないんじゃないかと思う位、静かだった。
ホテルのレストランで夕食を食べていると、ホテルの清掃員らしき人が話しかけてきたので、日本のことや旅のことを色々聞かれて会話を楽しんだ。
この時、私たちはこの清掃員に良印象を持ってしまったが後になって後悔することになる。
翌日は何も予定がなかったので、清掃員に効いたモールが集まっている所で買い物できると聞いて少しだけ遠出してみることにした。
バイクタクシー(バイタク)やトゥクトゥクより安く行けそうな乗り合いバスに挑戦。
運転席と助手席の人に行先を告げてお金を払うというシステムだった気がする。
タイ語で何言ってるか全くわからないが、言われた値段を払った。
モールの中をゆっくり歩いて見て回る。日本のデパートと変わらないくらい綺麗で都市感を感じる。
CDショップに入り、TOP10と書いてある場所でタイで一番売れているアーティストのCDと色々なタイ人の曲が入ったベストアルバムを買ってみた。
歌詞も全く分からないけど、帰ってから余韻に浸るように毎日のように聴いていた。
ホテルに帰り、またプールで遊ぶ。パタヤはたぶん男性が来ると楽しい場所なのだろう。
昨日の清掃員と会話を少し楽しんでから部屋でゆっくり過ごしていた。
そして、恐怖は突然訪れた。
部屋のドアノブをガチャガチャする音がする。ドアを開けようとしている。
コワくて私たちは震えていた。つぎは部屋の電話が鳴った。
出ると無言。こちらが話しかけても無言。
少し時間が経ってまたドアを開ける音。
これが3回続いた。
窓からこっそり外の様子を見ると、あの清掃員スタッフがこっちを見ていて目が合ってしまった。
急いでにカーテンを閉めて部屋を暗くして私たちは同じベッドで丸まって寝ることにした。
その後は何も起きなかった。
翌朝、会ったら嫌だなと思いながら朝食が準備されているプールサイドに行く。
あの人はいなかった。ホッとして受付でチェックアウトをする。
迎えのバスが来てくれるはずなのに、来ない。15分待っても30分待っても来ない。
不安になる私たち。
もしかしてロビーに降りてくるのが遅くて行ってしまったのではと思い始めてきた。
受付のスタッフは私の英語が伝わらず分からないという。
TATのスタッフに電話したけど、電話での英語は私にとってハードルが高く諦めて切ることにした。
困っている私たちの横を通った日本人親子が声をかけてくれた。
「大丈夫ですか?通訳しましょうか?」
神様が現れたかと思った。
「バスはまだ来てないから待っていれば大丈夫だよ。タイ人は時間にルーズだから遅れているだけだと思う。バスが着いたらスタッフの人が声かけてくれるように頼んでおいたから安心して。」
オジサマは何度もタイに来ていて、今回は息子と2人で来たという。
連絡先を交換して何度もお礼を言うと親子は外に遊びに出かけて行った。
結局、約1時間遅れでバスが来たが遅れたことに何の詫びもなく早く乗れと行ってくる。
これがタイか。
この日はまたバンコクに戻り、翌日からカンボジアのシェムリアップを目指す。
陸路でカンボジアを楽しむ
飛行機で行けばあっという間に行けるけど、それじゃ面白みが全くない。ということでバスに乗って陸路でカンボジアに向かう。
これが大変な旅になることは分かっていた。
カオサンからシェムリアップまで休憩をしなかったら約7時間くらいで付く。距離にして約400㎞。
まず、タイからカンボジアの国境があるポイペトまで約4時間くらいの道のりは冷房がガンガン効いたデカい観光バスで安定していくことができる。
問題はここから。
国境付近になるとバスから下されて、歩いて国境を渡る。そして出国入国手続きを行ってもらう。
また快適なバスに乗せてもらえると思ったら大違い。
熱くて土埃が舞うバス乗り場で相当待たされる。めちゃくちゃ待たされる。
あまりに暇だったので、バス乗り場スタッフにクメール語を教えてもらう。今では全く覚えていないけど。
やっと迎えがきた。古くてボロボロの日本製マイクロバスが迎えにきた。
私たちを入れて8人の観光客がバスに乗り込む。
クーラーはなく、窓を開けるしかないが土埃がスゴイので全開にはできない。
ここからシェムリアップまでは約3時間。この時ちょうどお昼くらいなので、途中ランチに立ち寄っても夕方に着くはず。
バスが走り始めて15分くらいで停車。露店に寄って、ペットボトルに入っているガソリンを購入してタンクに入れていく運転手。
そこからが長い。お店のおばちゃんと立ち話。熱い車内で待たされる私たち。
やっと動き出してくれたと思ったら数分で停車。タイヤを見てこいと助手席に座っていた助手の男の子にタイヤを見ながらあーだこーだ言っている。
私が「ランチはどうするの?」と運転手に聞くと、「もう少ししたらレストランがあるから止まるよ」と言ってくれた。
レストランに到着。それぞれ好きな物を頼んで食べた。
ここからはカンボジア紙幣のリラか米ドルを使わないといけない。少しだけ両替しておいて良かった。運転手が両替してくれるというけどレートが信用できないので断った方がいい。
レストランをあとにして、バスは走り始める。
それから幾度となく停車して売店の人と立ち話をしたりトイレ休憩を挟んでくる運転手と助手。
とうとう辺りが暗くなってきた。
白人のグループが怒り始めた。
「なんでこんなに止まるんだ!もうトイレ休憩もしなくて大丈夫だ!そうだよな皆!」
そこから運転手はノンストップでシェムリアップまで走り続けてくれた。
シェムリアップに入るとクリスマスのように飾り付けられたライトでデコレーションするホテルが大量に表れてきた。この時すでに夜8時を回っていた。
宿を決めていない観光客は運転手がいくつかのホテルを廻っていく。
カンボジア人の狙いはココだった。
疲れ果てている観光客は、真っ暗な道を歩きたくない。宿を探す気力が残っていないので案内されたホテルに泊まらざるを得ない。
この時代、ゲストハウスは人気で満員になるのにホテルはガラガラという現象が起きていてカンボジア人がグルになって提携しているホテルを案内していくという方法がとられていた。
この情報と事前に友達に教えてもらっていた私たちは、これを体験するべくバスに乗ってこのカンボジア作戦を楽しんでいた。
ホテルを決めていた私たちはホテルの名前を告げて送ってもらった。
バスを降りる時に助手席に座っていた男の子に「明日は何をするの?」と聞かれたので「アンコールワットや他の遺跡を見に行くつもりだよ」と答えた。
すると、「明日は暇だからボクの友達と一緒にバイクで1日案内するよ!」と言ってくれた。
思わぬ提案に驚いたが、頼むことにした。
ホテルはとても綺麗でシャワーも温水が出て快適だった。土埃だらけの服も一緒に洗う。白かったTシャツは茶色に変化していた。
バス移動に疲れて一瞬で夢の中へ入り込んでしまった。
翌朝、早くから男の子が友達を連れてバイクに乗って迎えにきてくれた。
まずは朝ごはん。
旅行客が来ないようなマイナーな食堂に連れていってくれた。
そして、ガソリンを入れて出発。
私たちの行きたい場所は「アンコールワット・アンコールトム・タケオゲストハウス」と伝えて、他にも行ければ連れていってと頼んだ。
まずは山の中にある遺跡へ向かうという。バイクにまたがり2人乗りで向かう。
タイ人もカンボジア人もバイクに家族5人で乗っていたり、たくさんの子ブタを入れた籠を後ろの席に乗せていたりと日本では見ることができない光景を楽しむことができる。
山のふもとに着くと、バイクは降りて歩いて山を登っていくことになった。
登りながら男の子が「川の底を見て」と小川を指さす。すると自然と一体化した遺跡が見える。
ここは、自然の中に遺跡が溶け込んでいるプノンクーン国立公園だった。
約1時間半の道のりをバイクで戻り、アンコールワットの入り口まで連れてってもらった。
写真で見ていたあのアンコールワットが目の前に現れて私たちは感動していた。
男の子たちはアンコールワットの外で待っていてくれて私たちだけ入場券を買って中に入った。
時間は気にしなくて良いと言ってくれたので私たちはゆっくり中を見ることができた。
アンコールワットは上に上ることができて、勾配のキツイ階段を這いつくばりながら登っていく。
カンボジアには高い建物がないため、最高に良い景色を見ることができた。
頂上には数人しか上ることができないので、数分楽しんだら階段から登ってくる人と交代しなくてはいけない。
この階段、降りるときがめちゃくちゃコワい。
場所によっては細い鉄でできた手摺のようなものがあるけど、錆びていてガタガタするので頼ることはできない。
上る時と同じ体制で階段側に向いて下りないコワくて降りられない。
今では簡易的な手摺が付いて、階段の踏み場にも板が付いているので少しはマシになっているらしい。
アンコールワットの後は、隣にあるアンコールトムに移動した。
アンコールトムにはカンボジア人の子供たちが結構いて、写真を撮ってと頼んでくる。
この子たちの写真を撮ってしまうと、お金をくれと言い出す。
物売りの子もたくさんいて、とくに日本人はカモにされる。
私は子供たちに囲まれたとき、リュックのポケットに入れていた音楽プレーヤーを盗まれてしまった。
みなさんも気を付けてください。
バイク移動に疲れた私たちは遺跡を見て廻るのに疲れてしまい、男の子たちにタケオゲストハウスで終わりにしようと言い出したら、まだ紹介したい場所がたくさんあるから行こう!と怒り出してしまった。
値段は約束した値段払うからと言っても、なかなか聞き入れてくれない。
タケオゲストハウスまで送ってもらい、ちょっと喧嘩別れするような形でバイバイすることになった。
タケオゲストハウスの1階はカフェとして使うことも出来て、ドリンクをたのんだ。
ここに来た理由は、カンボジア旅のキッカケをくれた男友達がタケオゲストハウスに泊まっていた時に取った写真と手紙を届けるというミッションがあったからだ。
タケオゲストハウスで働いている子に写真と手紙を渡すと、とても喜んでくれた。
ドリンクを飲みながらゆっくりしていると、日本人宿泊者が話しかけてきた。
もうタケオゲストハウスに3ヶ月滞在しているという。
他の国に行きたいけど、居心地が良すぎて移動できないでいるらしい。
そして、占いができるというので占ってもらうことにした。
私が建築関係の職に就きたいことや、梅がアート系の仕事をしたいということも当ててきてビックリ。
どちらも良い方向になるアドバイスをもらって私たちは歩いてホテルに戻った。
次の日はまた陸路でバンコクに戻る予定だったので、疲れないために早めに寝ることにした。
行きで乗せてもらったバスがホテルまで迎えにきてくれて、昨日の男の子も助手席に座っている。
機嫌はもう治っていて、色々話しかけてくれた。いつの間にか隣りの席に座っている。
そして、なぜか求愛され結婚しようと言われていた。「No,No」とハッキリ断ってしまった。
帰りのバスは3時間弱で着いたのは言うまでもない。スムーズすぎる移動に笑ってしまうほどだった。
バンコクに戻るとギワ君と偶然会い、いつものサクラゲストハウスとは違うゲストハウスに泊まることにした。
次の日はみんなでカオサンにあるマッサージ店でタイ式マッサージをしてもらった。
私と梅を担当してくれた姉妹はとても可愛く、タイ式マッサージはとても気持ち良かった。
お会計の時に教えてくれたのだが、妹の方はもともとは弟だという。
姉より可愛いと思っていたから衝撃だった。
タイを歩いていると明らかに男でしょ!という人が女性の恰好をしていたりするので、本当にニューハーフが多いんだと再確認できる。
本気の人は、女性より女性らしく綺麗だ。
さいごに
タイとカンボジアで色々な体験をすることが出来た私たちの旅はここで終わり。
書いてはいないけど、たくさんのタイ人と話したし親切な人がたくさんいた。
クラブで危ない目にあいそうだった時もタイ人が助けてくれた。
こんなにドキドキしてワクワクした旅は先にも後にもない。
この旅は、この年齢、行ける年代、梅と一緒だったから楽しめた。
この瞬間はもう戻ってこない。
行ける時に思いっきり旅に出た方がいい。
後悔しても遅い。
この後も色々な国へ旅に出ようと思っていた。タイとカンボジアももっと色々行きたい場所があった。
しかし、就職してすぐに結婚してしまったのでスリルのある旅に行くことはできなくなった。
子供が巣立った後に行くことも出来るけど、旦那が許してくれそうにもない。
そして、体力も限界を感じてしまうだろう。
この旅で出会った人達と今でも繋がっているし、同じ時期に東南アジアへ行った人達が、それぞれが旅で会った人を誘い100人規模で飲み会もした。
そこで出会った友達とも今でも飲みに行っている。
たった2週間でたくさんの人達と出会うことが出来た。
子供たちには色々な体験をして育って欲しいので色々な所に連れていく。
人生を思い切り楽しみたい。