昨日、2020年6月24日にOLYMPUSがカメラ映像事業部の売却を発表した。
とてもショックなニュースだった。
医療機器部門が伸び始めた頃、カメラ分野を心配していた。
ついにその日が来てしまったか。
私の側には いつもOLYMPUSがいた。
私の父がOLYMPUSで働いていたからだ。
そして、その父もOLYMPUSと共に育っている。
なぜなら祖父もOLYMPUSの技術者として働いていたからだ。
父の若い頃の夢は、OLYMPUSの技術者として海外で仕事をするというものだった。
父は無事OLYMPUSに入社し、東京→大阪→香川と転勤を繰り返した。
香川で母と出会い、結婚した。
兄が生まれ、私が母のお腹に来た頃アメリカのシカゴへ転勤が決まった。
そして、私はシカゴでこの世に誕生した。
シカゴに3年暮らし、本社勤務になった父と共に渋谷→調布と引っ越しが続く。
そして、私が5歳の頃ドイツのハンブルグへ転勤が決まった。
また引っ越しだ!最高!ドイツ?ドイツってどこ?日本にあるの?
私はいつでも引っ越しを喜んでいた。なんたって楽しい!
一人遊びが大好きな私は長い飛行機Timeも苦ではない。最高な時間だった。
空港に着いて私は、ドイツの空気が寒くてブルブル震える。
新居に到着すると全室カーペットが敷き詰めらていて、全部床暖房になっていることに感動!なんて最高な家なの!しかも2段ベッドだ!(次の日に私は落下した。)
家中を走り回って喜んだことを今でも覚えている。
ドイツに居た頃は長期休暇の度にヨーロッパの各所に旅行へ行った。
もちろんカメラはOLYMPUS。
当時の父は、フィルムコンパクトカメラXA2を愛用していた。
父は夢を果たし、東京に戻ってきた。
ここで私たちの転勤生活は終了したけど、今度は東南アジアや沖縄への出張生活を父は楽しんでいた。
今は定年退職し、再雇用で時短勤務させてもらっている。
そして、現在はリモート勤務により最高な状態で仕事をしている。
そのため7㌔も体重が増えたらしい。やばいね。増えすぎでしょ。
私はそんな父が大好きだ。
そして、OLYMPUSありがとう。
今日は実家でフィルムを漁る。 pic.twitter.com/7a5LU9Hb11
— erina (@erina_spielen) January 3, 2020